2011年3月31日木曜日

自作豆本の世界に魅せられた -27 名古屋の豆本展

今日が豆本の納品締め切り日

4月5日(火)〜10日(日)に豆本展が
始まるよ

大勢の作家やクリエーターが
参加している今回の豆本展

参加する仲間たちから
納品したよって連絡が入ってくる

ボクも
3月11日の震災以降中断していた
豆本制作を少しづつ進めていた

ボクのテーマは
2010年の写真集にした

膨大な画像の中から
どの画像を選ぶか
大変な作業だったんだ

A4サイズに10面付けで
印刷して

トンボに合わせて裁断
4枚をひとまとめにして
それを4束で一冊に糸かがり

花布とスピンを付けて
見返しと表紙を接合し
プレス加工

表紙には革を使い
メタルエンボッシングで
飾りを付けて16冊を完成

名古屋の豆本展には
一冊だけの出品
あとは東京の豆本展に
持って行くんだ



2011年3月29日火曜日

My Dear Friend -151/甦ってきた唄

色々な唄が甦ってきているんだね

先日ブログに書いた
岡本真夜のTOMORROWも
そうだし

今日の岡林信康の作詞作曲になる
"友よ"

も 不死鳥のように甦ってきている

"友よ" は元々は反戦歌として
プロテイストソングとしてうまれた

しかし いまは
被災地に向けての唄として
世代を超えて歌い出されているという
20代の若者にはどう聞こえるんだろう

音楽家は音楽で
書家は書で
絵描きは絵で
物つくりも

もちろんボクはボクでね
それぞれの分野のクリエーターが
動き始めていると言うことなんだよ

この "友よ" にも
ほろ苦い思い出があるんだけれど
共に戦っていた友と歌った思い出が
自分の中でもよみがえってくる



そして
同じく岡林信康の
"私たちの望むものは"

悲しみやつらさを乗り越えて
復興のために立ち上がり始めた
被災地へ強烈で
過激なメッセージを与えるのかも
知れないなぁ

為政者には辛い唄だろうね

2011年3月28日月曜日

My Dear Friend -150/美濃國 池田山麓クラフト展

色々なイベントが始まる4月

開催か自粛か・・・
主催者側はいろいろと検討したみたい

でも
自粛をしても被災地の方々への
支援には繋がっていかない

昨晩は福島県で被災されて
名古屋に避難してきているクリエーターと
会ってきた

被災を免れたクリエーターたちとの
ネットワークを構築して
名古屋と被災地との交流が
できないか模索をはじめていくよ

イベントを予定通り行うことで
被災地への支援活動の一助が可能

名古屋の豆本展も予定通り
4月5日(火)~10日(日)
東区の橦木館での展示する
豆本の納入が今日から始まった

そして
2011 美濃國 池田山麓クラフト展の
フライヤーも届いた
4月16日(土)~17日(日)と開催される

ボクも仲間たちと一緒に出展する

詳しいことは画像を
クリックしてみて


2011年3月27日日曜日

My Dear Friend -149/Picnic Works

動こうと決めたからには動くんだ

名古屋と東京の豆本展に参加する
Picnic Worksさんの豆本を
引き取りがてら出かけた

今年の1月にオープンしたばかりの
味わいのあるお店は
MINI仲間のヒミツ基地でもある
店内は彼らのジャンクな作品が
所狭しと主張している

まるで個展のように展示されている
もちろん販売もしている
不思議な空間

雑貨と食事の店だから
早速ビールをグビグヒ飲みながら
美味しい自家製燻製や
ピザを頬張り

海が近いから
先日の地震による津波の避難話や
地域の防災に対する話
コツコツと店作りを続けてきた
開業裏話などを
話してくれた

隣町に住む
写真を撮っているメグちゃんも
お友だちと駆けつけてきて

あっという間に数時間が過ぎたよ
二人の作った豆本も
既成概念をはずれた
面白い豆本が出来上がっていた

画像を紹介したいのだけれど
それは
4月5日〜10日の
豆本展でご覧下さいな

正統派の豆本作家は
目をむくだろうね

異端派も出展する名古屋豆本展は
まもなく始まる

もっとも豆本には
正統派も異端派も無いのかも知れない
発想も表現も自由なのが
豆本作りの醍醐味なんだろうと
思うんだけれどね
















2011年3月25日金曜日

My Dear Friend -148/名古屋の豆本展

東北関東大震災から2週間たった

行方不明者の安否は分からない
復興に取り組み始めた地域
まだ手も付けられない地域

悲しみの中から立ち上がろうと
動き始めている被災地の人々

一部ではそのような被災地から
元気を感じさせられる

運がよくて
震災に遭遇しなかった地域も
今なすべき事に動き始めている

あと10日で
ブックマークナゴヤのイベント
豆本展がはじまる

尊敬する友人で
今回初めて豆本を作っている
造形作家の松岡ミチヒロさんが
豆本展の素敵なイメージ画像を
作ってくれた

震災で安否の分からない友人達の
悲しみの中に悲嘆していた
ボクへのエールのような気がした

今回の豆本展のために呼びかけた
色んなジャンルのクリエーターたちが
豆本制作に取り組んでいる

そして
次々と完成していく
色んな表現の豆本たち

ボクも停滞していた重い腰をあげて
今なすべき事をやり遂げなければ
呼びかけ人の一人して
現実に目を向けて
動き出すことにした
めくるめく本の世界 ~豆本展
日時:4月5日(火)~4月10日(日)
10:00-17:00 月曜休館
会場:文化のみち橦木館 1階和室
  (名古屋市東区橦木町2-18)
料金:いずれも無料 ただし要入館料(200円)

1)「豆本」展
公募作品のほか、
田中栞さんコレクションの貴重な名品、
国際的な豆本コンクールのグランプリ受賞者
赤井都さんの作品、
故亀山巌作「名古屋豆本」など。

4月6日(水)
田中栞さんトーク「名作豆本今むかし」
11:00~/14:00~
それぞれ1時間程度(無料・予約不要)
武井武雄刊本作品や、
川上澄生・前川千帆版画入りの豆本、家具入り豆本など、
昭和の名作豆本の格調高いコレクターズアイテムから
現代日本の豆本作家たちの驚くべき作品の数々
「書物」に対する先入観を覆される
貴重なひとときです。
本好き・豆本好き必見、お気軽にお越し下さい。

2011年3月24日木曜日

My Dear Friend -147/どうか無事でいて欲しい

楽しく過ごしてきた横浜

でも帰ってきてみると
やっぱり
友人達のことが気になってしまう

横浜の報告もしたいと思っているが
たくさん撮った画像の整理もできず
頭も回らない

同じく豆本を作っている仲間から
呼び出されると嬉しくて
飛んでいくんだけれど
その瞬間は忘れられる

被災地から避難してきた
クリエーターとの交流を持ちたい
持ちかけてくれたTASK君の
話には
何だか嬉しくて
躁状態になってしまう

相変わらず福島 岩手の友人とは
連絡が取れず
安否が気になっている毎日

ずいぶんとお世話になったまま
何の恩返しもしていないのに

新聞の亡くなった人のページを
細かく調べている自分がいやになるよ

本を読んでいても
同じ文章の所をグルグル回っていたり

豆本を作っていても
メタルエンボッシンクをやっていても
何だか心ここにあらず
という感じで小さな制作ミスが多い

いまは自分の出来ることをやろう
そう思ってはいるんだけれど
でも それは?って
考えてしまい
何も無いような気分になってしまう

10年ほど前にも
こんな状況になったことがある
その時に教えてもらった歌で
ボクは助かった
自分に立ち返った大切な歌

歌の題名も忘れていて
横浜に向かう列車の中でも
ずっと思い出そうとしていた

東海道線の熱海を過ぎて
湯河原
大磯・・と
長い年月を過ごしてきた
湘南の海を眺めていた

辛いことや悲しいことを
封印してきたんだ

歌詞を少しずつ
思い出してきた

そして今日とつぜん思い出した

Tomorrow

2011年3月18日金曜日

自作豆本の世界に魅せられた -26 豆本展フライヤーと豆本カバー

このブログを更新したら横浜行きだよ

未曾有の大震災から一週間が経つね
避けられない天災である地震と
避けられた人災である原発事故が
より悲惨さを拡大させている

マスコミは東電の福島原発の事故を
人災だと報道しない
あくまでも地震と津波が原因だと
言うんだろうね

トマレ

ボクはこれから横浜に行くんだ
仲間からは
関東から放射能汚染を逃れて
避難してくる人が多いのに
どうして関東に行くんだ?
大停電があるぞ
問いかけられた

別に義憤に駆られてではない
関東の被災現場の撮影でもない

素敵な人たちが立ち上げた
日本豆本協会のメンバーが
集まろうか
誘ってくれたから

今度の地震が無かったら
行かなかったかもしれない

そんな折りに
素敵なフライヤーが届いたんだ

2月17日にブログに書いた
豆本展のフライヤーを
工作すると小さな
折り豆本ができるんだ

届いたフライヤーと同梱されていたのは
その折り豆本のカバーになると言う
小さな紙片

名古屋の豆本展(4月5日〜10日)は
ブックマークナゴヤのイベントの
一つとして開くから
どうしても宣伝告知に
イマイチ衆知に欠けるのも事実

日本豆本協会では
名古屋の豆本熱が高いという
評価をしてくれたのか
オリジナルのフライヤーを
作ってくれたんだよ

オイラは単純だから
そういう一生懸命な熱意には弱い
だから
横浜に行ってきます

急いで書いているから
不適切な表現があるかも知れないなぁ


これが折り豆本のブックカバーになる
色々な人のアイデアが
形になっていくって素敵なことだよね

画像では見にくいかも知れないね
折り豆本をブックカバー入れてみた
本体の豆本とカバーのサイズは
ジャストミートしてる

いい加減な物つくりをしている
オイラには仰天してしまう精度だよ

しかし
このカバーは一般の人には
手に入れることはできないんだ
送られてきた紙片は
数に限りがあってね

折り豆本を作ってみた人にだけ
渡してあげたいと思っている
そして興味がある人にね

実際に折ってみた人からの
連絡待ち・・ってことで



2011年3月17日木曜日

自作豆本の世界に魅せられた -25 豆本展に向けて

被災にあわれた方々の悲しみを想う

親しい友の安否は
今でも不明だ
安否情報のネットワークを
フルに使わせてもらっている

送ろうとして準備した
すぐに必要になるだろう品物を
詰め込んだ
段ボール箱も送れない

テレビの前に坐っていて
追体験をしているような錯覚に陥る
でもボクは被災者ではない

twitterを眺めていると
泣いてしまう優しいつぶやきや
天罰だ という唾棄したい言葉もある

今は途方に暮れている被災者も
もう少ししたら
悲しみを乗り越えて
立ち上がってくると思う

ボクの周りにいる感性豊かな
物つくりたちは動き始めている
自分の置かれた立場をわきまえ
自分のできることは何かを
模索して動き始めている

そんな仲間たちの動きに
感動を覚えながら
ボクはボクのスタンスを決めていく

やがて
きっと復興のために立ち上がってくる
被災者のために
ボクができること

悲しみを自分のものとして
平常心を取り戻し
取り乱すことなく

今そこにあること
やらなければいけないこと

その日常を取り戻すこと
そして
ボク達のエネルギーと
復興に向けて立ち上がってくる人たちとの
連携していけるだけの
豊かな微笑みと人間性を保持する

色々な方達から目前にある
イベントへの懐疑がもたらされる
自粛したいと思う人はそれでイイ

それぞれが置かれた立場を
精一杯生きること
それが
ボクたちの生きていく糧

わずか一週間前に予定していた
活動を再開する

名古屋での豆本展
東京での豆本展
池田町も
クリエーターズ・マーケットも
息を吹き返したように
動き始めた

滞っていた様々なフライヤーを
手分けして配布していく

そして物つくりたちの作品を
見せてもらい
刺激と勇気をもらってきた

テデイベア作家のK子さんに
色々なフライヤーの束を渡し
彼女の作った豆本を見せてもらった

今回の豆本展には
作ってもらいたい作家をボクなりに
選び出した

きっと思いもかけない
豆本が出来てくると思っていたんだ

製本という正統派の
技術の範疇には及ばないけれど
感性豊かな作家達の熱情はほとばしり
丁寧に表現されている

自分の表現枠とは違う作品を
手に取れる喜びはとても嬉しい
6時間近くも話していた
少し滅入っていたボクに渇を入れてくれた

オイラも発散させなければいけない




2011年3月15日火曜日

Pray For Japan

震災の全貌があきらかになってくる

あの日からからずっと
被災地にいるお世話になった
友人や知人の安否を伝言ダイヤルや
掲示板を探している

友人からの依頼で
その友人の父親の消息も探している

今日は友人でもあり
かっては同志でもあった
シャンティの市川 斉くんも
報道番組に出演して
阪神淡路のボランティア活動で
得た教訓を伝えていた

タイの友人はグループで集まり
国際電話をかけてきてくれた

会ったこともない
ネットだけで繋がっている人たちから
励ましのメールがくる

今のボクは動きが鈍い
居ても立ってもいられない
感情と何ができるかを
自問自答するばかり

豆本を作っていてもミスが続く
メタルエンボッシングでも
失敗が多い
没頭して作業ができない

わずかばかりを募金箱にも入れた
でも不甲斐なさを感じてしまう

被災地からも
そうでない人たちからも
メッセージが流されている

時には憤りも感じるけれど
ほとんどは涙が出てしまう

2011年3月14日月曜日

Operation Tomodachi

2011年3月11日M9.0大地震

その日もノンビリと豆本を作っていたんだ
そして船酔いみたいな
立ちくらみのような気分の揺れが襲ってきて
ふと上を見ると電球が揺れていたよ

大惨事の始まりだった
BGM音楽をやめてテレビをつけた

横浜の友人
都内で生活しているタイ人
心配な友人達に安否確認をするが
電話が通じないし

ボクはかってホテルや旅館の
販売促進企画の仕事をしていたから
東北地方にも友人が大勢いる

岩手県の大槌町
三陸の街
大船渡
福島県
全て通じない

こういう災害時には
電話をしてはいけないんだと
気がつき

テレビの速報にかじりついていた

facebook経由でタイの友人達から連絡が入り始める
ナコンサワンのLee Rungkanawoutさんからは
たどたどしい翻訳日本語のメッセージ

【私はあなたの国で起こった災害に
私の哀悼の意を表明する。
日本ではすべての人々の保護をしよう】

毎回タイで会っている仲間たちからの
メッセージに涙腺は壊れた

涙が止まりかけた頃から
在留タイ人達に安否を問いかけて
無事だった人の消息を本国にメール

二日も経つと
北関東や東北地方の友人たちからも
連絡が入り始め
無事を確認
でも救援メールも4通入った
本当にいろんなメールが飛び込んできた

友人からの欲しい者リストを
持ってスーパーへ飛ぶ

でも悔しいかな
被災地方面への宅配便の受付は
停止していた

小さい頃ボーイスカウトで習った
備えよ常に・・・だったかな

泥縄だけど
自宅の防災グッズの確認をしたりして
落ち着かない時間が過ぎていく

そんな夜に
アメリカが支援部隊を派遣したと
オバマ大統領の歓送演説だと
教えてくれた

まるで
映画 インデベンデンスディの
パクリじゃないかと
一瞬笑ってしまったけれど
また涙腺が壊れてしまったよ

************************************

救助に向かう米兵に向かって
語りかけるオバマ大統領の演説

おはよう、諸君。
後一時間足らずで、諸君ら140名は、
極東に向かって旅立ち、
史上最強の敵と交戦する。
時を同じくして、世界各地の米兵たちも、
他の35隻の原子力空母で、
同様の救助に向かう行う手はずだ。

諸君がまもなく赴く戦いは、
人類史上最強の救出活動となるだろう。

そう、人類史上最強の・・・・
人類・・・・・この言葉は、
今日、我々全員にとって、新たな意味を持つ。

地球に対する今回の暴虐行為に
少しでも意味があるのなら、
それは我々人類が共有するものの大きさに
気づかせてくれた、という点につきるだろう。

今回の侵略は、
この惑星で共に生きることが、
こういうことかを、
新たなる視点から見直させてくれた。

人間同士の無数の差異など
瑣末事でしかないことを痛感させ、
共通の利益というものの意味を
実感させてくれた。

そしてさらに、歴史の方向を変え、
人間であることがどういうことかをも
定義し直してくれた。

今日このときより、
世界の諸民族と諸国家が
いかに深く相互に依存しあっているかを、
我々は決して忘れることがないだろう。

諸君は日本を愛し、
この日本を守り抜くために
自らの才能と技術を差し出し、
命すら投げ出す覚悟を固めている。
諸君と共に戦列に立てることを、
私は心から誇りに思う。

3月11日は日本の祝日だけではなく、
地球上のあらゆる国家が肩を組み、
こう叫ぶ日となるだろう。
”我々は決して従容と死を受け入れたりしない!
我々は生き続ける!生き続けてみせる!”と。
その日こそ、
我々は真の独立記念日の祝うのだ!

アメリカ軍作戦名
「Operation Tomodachi」

2011年3月12日土曜日

I'm crying. Earthquake and Tsunami



ฉันร้องไห้

เมืองหายไปในตอนเหนือของญี่ปุ่นแผ่นดินไหวและคลื่นสึนามิ

ไร้ที่อยู่สูญหายครอบครัวสูญเสียคนที่รักสูญเสียเพื่อนเป็นเพื่อนที่ดีมันเจ็บที่จะมีคนดูในทีวีกวางตะลึงของเขาในไฟหน้า

ยากที่จะเห็นจำนวนของคนตายและหายไป

แต่เราก็เห็นหน้าจอรายงาน Sad แต่ความเป็นจริงว่านี้เป็นจริงที่เกิดขึ้น มันเป็นความจริงที่ไม่หันออกไป

ฉันกำลังมองหาที่ข่าวที่น่าเศร้าของเมลดังกล่าวได้รับการให้กำลังใจจากเพื่อนของฉันในประเทศไทย

ฉัน Amarino กำลังร้องไห้ด้วยความยินดี


Estoy llorando.

Desaparecidos en la ciudad de norte de Japón de los terremotos y tsunamis.

Personas sin hogar, perdió a su familia, la pérdida deseres queridos, la pérdida de amigos eran buenos amigos, me duele que la gente viendo en la televisiónsu ciervo sorprendió en los faros.

Difícil de ver el número de muertos y desaparecidos.

Pero sigo viendo la pantalla de informes. Triste peroes una realidad que esto es realmente sucediendo.Es cierto que no con la espalda.

Estoy mirando la trágica noticia de dicho correorecibido el aliento de mis amigos en Tailandia.

Yo Amarino están llorando de alegría.

Eu estou chorando.

A cidade desapareceu em terremoto no norte do Japão e do tsunami.

Homeless, perdeu a família, perderam seus entes queridos, perdi amigos eram bons amigos, dói terpessoas assistindo na TV o cervo atordoado nos faróis.

Difícil de ver o número de mortos e desaparecidos.

Mas eu continuo vendo tela de relatórios. Triste, mas é uma realidade que isso está realmente acontecendo. É verdade que não virar as costas.

Eu estou olhando para a trágica notícia deste correiorecebido o incentivo de meus amigos na Tailândia.

Eu Amarino estão chorando de alegria.


I'm crying.

Disappeared in Japan's northern city of earthquakes and tsunamis.

Homeless, lost family, lost loved ones, lost friendswere good friends, it hurts to have people watching on TV his stunned deer in the headlights.

Hard to see the number of dead and missing.

But I keep seeing reports screen. Sad but it's a realitythat this is actually happening. It is true that not to turn away.

I'm looking at the tragic news of such mail receivedencouragement from my friends in Thailand.

I Amarino are crying for joy.