2008年7月3日木曜日

タイの情報が届いた

そろそろタイ行きの準備にかかろう
そう思っていたら豊田勇造から手紙が届いた。

8月16日(金)タイのバンコクで
「勇造ライブ・イン・バンコク」の
開催場所の地図が入っていた。


関西フォークの創成期から
メッセージソングを歌い続けている彼は
デビュー36年目になる。

コンサートの数は年間100回を数え、
全国をコンサートツアーで回っている。

1984年来日中のタイの国民的バンド「カラワン」と出逢い
アジア世界に踏み込んでいった。
1980年代末から90年代半ばにかけてはタイの東北地方で暮らしていた。

その後帰国して京都在住。

アジア体験を唄わせては彼の右に出る者はいない。

ビルマに居座り続ける軍事政権下に囚われの身になっている
アウンサン スーチーを支援する最近作られた歌
「フリー アウンサン スーチー」は
是非聴いてもらいたい。

「〜もう永い間囚われの人
家族とも友だちとも祖国とも
隔てられた悲しみはきっと
どんな深い海よりも深い〜」


へっぽこ先生との再会

何年も前のことだ。
ウイスキーのテレビCMで
このへっぽこ先生がよく登場していた。

季刊「銀花」という手仕事や自然の事を取り上げている
雑誌でも特集を組まれていた。

棟方志功に版画の道を選ばせたという
川上澄生という版画家に今また興味が沸いてきて
三冊しか持っていない画集を毎日眺めている。


「初夏の風」

かぜ と なりたや
はつなつ の かぜ と なりたや
かのひと の まへに はだかり

かのひと の うしろより ふく
はつなつ の  はつなつ  の
かぜ と なりたや



記憶のかなたにあった川上澄生を思い出したのか・・・
それはね

先日「クリエイターズ・マーケット」で知り合った

彼女の作品にかける想いや
その彼女のまわりにいる素敵な連中を好きになったから

そしてそして、その作家は消しゴムはんこで「五行歌」も彫っている。



ボクが五行歌に出会ったのは1995年
友人の紹介で五行歌の主宰者である草壁焔太先生を
訪ねた。

バブルが崩壊し、個人的な問題も抱えていた当時
草壁先生といろんな話をした。
先生は五行歌を作ることを勧めてくれた。

心のうちを五行にまとめること。

無駄な虚飾をはぎ取り
見栄や体裁を繕うことを捨て
世間体や自分への評価も気にしない

まるでタイ人と話しているような
優しい言葉が身にしみてきた。

失意にあったボクは歌い出した
一日に50もの五行歌を生み出していた
その内の何点かの習作を草壁先生は取り上げてくれた。

吐露すること、誰かがボクのことを見ていてくれること
救われる思いだった


木彫で自分と向き合うことを知ったボクは
いま又、新しい作家達と知り合い
いま又、新しい試みで自分を表現出来るかも知れないと
思い始めている。