2008年7月9日水曜日

フラワートラベリングバンドが帰ってきた。

6月18日に元CBCのディレクター故山本恵三さんの
追悼を書いたところ色んな反応があった。

その中での極めつき



再結成されると知ったこと。

そして、9月26日に名古屋でライブがあるという。

先ほど、ジョー山中からも「ヨロシク!!」という
メールが届き、一気に40年前の記憶が甦ってきた。

ジョーをはじめ、石間秀樹、上月(小林)ジュン、和田ジョージ、&篠原信彦のメンバーが
勢揃いする






「We are Hare」というライブの詳細は上の画像をクリックしてください。



メンバーは還暦を過ぎたとはいえエネルギッシュな活動を
展開し始めている。

昔の友だち、ミクロ万吉君小原の指圧師クンは速攻で
行こうと手をあげてくれた。
他にもいるでしょ・・迷っている人
一緒に行こうよ。

2008年7月8日火曜日

晴工雨木

タイへ出発の日が近づいてきた。

60回近くも渡タイしているとワクワク感はない。
どこへ行くか、どこへ泊まるかも決めていない。

今回の新しいことと言えば一眼レフと海外でも使える携帯電話を
持って行くこと。

携帯で仕事をするのではなく、
タイ人の友だちと連絡を取り合ったり
豊田勇造と連絡を取り合ったりするのに使う。

グローバル・パスポートという携帯に機種変更をした。
友人の薦めもあり、7月4日の新機種発売まで待っていたので
値段交渉の結果、機種変更にかかった費用は3000円だった。



薄くて軽い新機種の携帯電話







今日も雨・・・・
晴れたら木工作業に
雨の日は木彫作業にしている。

クリエイターズ・マーケットで知り合った
消しゴムはんこの作家さんのロゴを彫らせていただいた。
材はエンジュという堅い木

12日のタイ料理屋での会合の日に手渡す予定。

その作家さんからは消しゴムはんこの材料とスタンプが
送られてきた。
木ではないから、たまには気分転換になるでしょ・・と手紙に書かれてた。

川上澄生には及ばないが消しゴム版画も面白いかも知れない。





表札も完成したので防水加工を施した。
これは明日横浜に向けて発送の予定。



夕方近くになって雨がやんだ。
庭の木に蜘蛛の巣が張っているのを
放置していた。

雨上がりに水滴を撮ってみたいと思っていた。
太陽の回りが夕方だったので
狙っていた光ではなかった。

2008年7月3日木曜日

タイの情報が届いた

そろそろタイ行きの準備にかかろう
そう思っていたら豊田勇造から手紙が届いた。

8月16日(金)タイのバンコクで
「勇造ライブ・イン・バンコク」の
開催場所の地図が入っていた。


関西フォークの創成期から
メッセージソングを歌い続けている彼は
デビュー36年目になる。

コンサートの数は年間100回を数え、
全国をコンサートツアーで回っている。

1984年来日中のタイの国民的バンド「カラワン」と出逢い
アジア世界に踏み込んでいった。
1980年代末から90年代半ばにかけてはタイの東北地方で暮らしていた。

その後帰国して京都在住。

アジア体験を唄わせては彼の右に出る者はいない。

ビルマに居座り続ける軍事政権下に囚われの身になっている
アウンサン スーチーを支援する最近作られた歌
「フリー アウンサン スーチー」は
是非聴いてもらいたい。

「〜もう永い間囚われの人
家族とも友だちとも祖国とも
隔てられた悲しみはきっと
どんな深い海よりも深い〜」


へっぽこ先生との再会

何年も前のことだ。
ウイスキーのテレビCMで
このへっぽこ先生がよく登場していた。

季刊「銀花」という手仕事や自然の事を取り上げている
雑誌でも特集を組まれていた。

棟方志功に版画の道を選ばせたという
川上澄生という版画家に今また興味が沸いてきて
三冊しか持っていない画集を毎日眺めている。


「初夏の風」

かぜ と なりたや
はつなつ の かぜ と なりたや
かのひと の まへに はだかり

かのひと の うしろより ふく
はつなつ の  はつなつ  の
かぜ と なりたや



記憶のかなたにあった川上澄生を思い出したのか・・・
それはね

先日「クリエイターズ・マーケット」で知り合った

彼女の作品にかける想いや
その彼女のまわりにいる素敵な連中を好きになったから

そしてそして、その作家は消しゴムはんこで「五行歌」も彫っている。



ボクが五行歌に出会ったのは1995年
友人の紹介で五行歌の主宰者である草壁焔太先生を
訪ねた。

バブルが崩壊し、個人的な問題も抱えていた当時
草壁先生といろんな話をした。
先生は五行歌を作ることを勧めてくれた。

心のうちを五行にまとめること。

無駄な虚飾をはぎ取り
見栄や体裁を繕うことを捨て
世間体や自分への評価も気にしない

まるでタイ人と話しているような
優しい言葉が身にしみてきた。

失意にあったボクは歌い出した
一日に50もの五行歌を生み出していた
その内の何点かの習作を草壁先生は取り上げてくれた。

吐露すること、誰かがボクのことを見ていてくれること
救われる思いだった


木彫で自分と向き合うことを知ったボクは
いま又、新しい作家達と知り合い
いま又、新しい試みで自分を表現出来るかも知れないと
思い始めている。


2008年7月1日火曜日

ちびっ子バレーダンサーだよ

友人が主宰するバレー教室の発表会があった。
ボクは撮影を頼まれたけど
ホントにボクで良いのかな??

会場に行くと
キチンとプロのカメラマンが二人もいて
カメラ位置などを決めていた。

安心した。

ボクは記念写真が得意ではないので
気ままに撮ることに決めた。

可愛いダンサーは
年少さんから小学生まで約60名の女の子
すべてのちびっ子を撮るなんて無理


リハーサルも終わりもうすぐ本番

最終打ち合わせ・・・とは言っても
我関せずの子がいるのも当たり前のシーン

大人の社会だってそうだもんね。





小学生になるとハイ!! この通り決まりのポーズ

バレーなんて見るのも撮るのも初めてなのです。
これが決めのポーズだと思っているのはボクだけなのか?




いたいた・・こういう子がいてくれると
カメラマンのオジさんは嬉しいのです。

他のダンサー達は一礼して裾に戻っていきました。

なぜかこの子だけは一人たたずむポーズ



舞台の裾に戻ったのですが
客席にお友達を見つけたのか
一人また出てきてしまった。



ワンマンショーを披露しようと思いましたが
舞台でコロリ

客席からは温かい声援が・・・



もっと小さい年少さんたちは
それぞれ自慢のポーズで決めています

まあ、基本通りにはなっているようだね。

分からないけどね。




なぜかこの時カメラがコックリとお辞儀をしてしまった。
三脚のネジがゆるんでいた。

おかげでちびっ子の可愛い足だけがハイ、ポーズ




舞台はクライマックスです。
可愛い妖精たちも決めのポーズをしっかりと見せてくれます。



・・・と、言うウチにフィナーレです。

こんな写真ばかり撮ってしまった。
これではご褒美のビールにはありつけそうにないな。

プロのカメラマンさんたちは
キチンと名シーンを押さえてくれただろうな。




2008年6月30日月曜日

屋台村に行ってきたよ

いつか入ってみたいと思っていたけど
いつも素通りしていた
大きな赤提灯のぶら下がっている店があった。

入ってみるとびっくり・・・
真ん中に通路があり
両サイドは屋台がずらりと並んでいた。

ビル全体が屋台村のようになっている。
「オデン」「焼き鳥」「モツ煮」「ラーメン」
「お好み焼き」「たこ焼き」「一品料理」
それぞれの専門店がそれぞれの香りを振りまいていた。

一つのお店に腰掛けて、親父に好きな物を注文すれば
他の店からでも出前が出来る。

タイの屋台と同じシステムなのが嬉しかった。
タイの屋台ならばお手のもの

会社帰りのOLグループ、年の離れたカップル(親子かも??)
いかにも町内会という集い、若者のグループ・・・・

ワ〜ンと言う感じで会話が耳に入ってくる。



ビールから始まり、ほどよく酒が回ってきた頃には
屋台の客ともうち解けていた。
談論風発・・・ちょっとだけ日本の行く末なども心配そうに語った。

ボクは一見さんなので
深く入り込んだ話題を避けて軽い会話を楽しんだ。
他の席からビールや焼酎が回ってくる。

撮影していても何も文句は出てこない。
気軽な雰囲気にボクは安心してシャッターを切る。

でもほとんどがブレていた。
酩酊・酩酊・・・気持ちの良い夜だった。


イェーィ・・・また来るぞ!!!!


2008年6月29日日曜日

モダン文化マーケット

先日のクリエイターズ・マーケットと同じ主催者が

会場にはマニアックというかオタクというのか
出展している人も来場している人も
古いものに憧れや郷愁をおぼえる人たちで
賑わっていた。

古い物・・と言ってもアンティークやビンテージではない
昭和時代を懐かしむ玩具や雑貨が多い

中年以上には懐かしく
若者たちには新鮮に感じるのか
性別年齢関係無しに
会場を探検していた。








自らが作った物ではなく、どこからか見つけてきた物
長年収集してきた物を出展していて
話しかけると気さくな反応を示してくれる。

撮影を断られたのは一軒だけだった。





もちろん買い手であるお客とも話をするけど
出展者同士で情報交換や裏話で盛り上がっていることが多い。
ボクはそんな会話に耳を傾けるのが好きだ。




真ん中のオーバーオールを着ているペコちゃんは
ボクも以前持っていたものと同じ。

値段を聞くと130.000円

周りの人は「うちにもあった」「捨てずに取っておけば良かった」などと
言っていた。

ボクはどうしても思い出せない。
どうしてボクの収集品の中に残っていないんだろう
捨てた記憶はない。




今回、ひとつも買い物はしなかった。
出展されているブリキの玩具類はボクも持っている
この自動車なども何種類かは同じ物を持っている。




アトムやロボットもボクは持っている。
もっと良い状態のアトムや鉄人28号だ。
そんな話を出展者に話すと是非見たいという。

換金が必要になっても手放さなかった。
この先は・・・分からない。

一生懸命になって収集したことはなく
気がついたらブリキの玩具やガラクタが集まっていた。




ボクがブリキの玩具を集め始めたのは
1968年・・・ある挫折がきっかけだった。

その時は前途ある将来なんて夢はなく
自分の育った子供時代に夢や郷愁を感じた。

でも日本でのブリキの玩具製造のピークは
過ぎていて
中国製のブリキのオモチャが
出始めていた。






快く撮影を許してくれた出展者の人たちと
交わす言葉は心地良い。
同時代体験の人や若い人・・・
オタクっぽい蘊蓄をぼそぼそと聞かせてくれた
金髪の青年もいた。

デジタルではない
アナログな世界への回帰を夢見ているようだった。

ボクも半分はデジタルなブログを始めたり
もう半分はアナログな手工芸にも導かれている。




ボクが幼い頃、岡山に住んでいた従兄弟が佐藤製薬にいて
会えばお土産にサトちゃんの人形をくれた。
そんなことを突然思い出して撮った一枚。



高倉健さんの「鉄道員(ぽっぽや)」を見たときに
主人公の健さん扮する国鉄マンの乙松の部屋には
SL時代の逸品が雑然と並べてあった。

ボクも欲しかったけど、どうやったら手に入るのか
分からないまま忘れてしまった。

友人のカメラマンは最近鉄道に凝り始めている。
そんな友人のために撮ってみた。



フーテンの寅さんが持っているような革のトランクを手に入れて
喜んでいるのは仲間のクリエイターだ。

出展していたオジさんは缶ビールを何本も飲んでいた。
並べてある品物の中に「スーパードライ」とスルメとソーセージと
サトちゃんの人形をセットにして200円だと言う。

早速ボクはそのビールを買って飲んでいると、見ていた彼女は革のトランクを発見
交渉の末、なんと2000円でゲットした。

気前の良いオジさんは、売り物である色んな雑貨を
トランクに放り込んでくれた。

宝物で一杯になって満面の笑みを浮かべた彼女と
また会おうなと言ってくれたオジさんのツーショットです。

2008年6月28日土曜日

クリエイターが集まった

未知のクリエイター達と某日某所で会合を持った。

集まったのは16名

この日ボクはフラッシュを焚かずに
撮影しようと思った。

フラッシュを焚いた写真は
証明写真か手配写真のようになって面白くない。

光量が足らないので
当然ブレてくる。

クリエイターの誰もきれいな写真なんか
求めていない。






新しい出会いの場でのお約束・・・
まずはそれぞれが自己紹介となります。

音頭を取ってくれた山羊ちゃんから一人一人に
封筒が配られた。

その封筒には一枚のカードが入っていて
「○○○の話を聞かせてください」と書かれてある。

さあ、みんな慌て始めた。

面白いアイデアにみんな乗ってきた。
そのカードに自分の名前を書き込み
一人づつ配られたテーマに沿って
語り始める。





愛知万博の時にシベリアから運ばれてきた
マンモスの木箱を作ったのは彼だ。


彼女は日本国内でベルギー人に助けられた
怖い話を披露してくれた。



個別のテーマに沿った自己紹介は
どんな話題が出てくるか分からない。
真剣に耳を傾けながらも、自分のテーマを考えている。



ビールも食事も美味しいのだが
みんなが語るお話はもっと美味しかった。


発表する自分のテーマについて
相談し合う光景もいつもの自己紹介では見られない。


ワインにソムリエがいることは知っていたが
野菜ソムリエ」という職業があることを始めて知った。
彼女はその中でもマイスターという資格を持っている。


熱く父親との確執を語ってくれた。
親不孝者のボクにもジーンとくる。




「クリエイターズ・マーケット」で移動屋台を出店していた。
順番に並んでいる人たちを避けて、裏からこっそりとビールを買わせてくれた。




次々とユニークな自己紹介が語られていく。
ある人は面白おかしく、
ある人は問題を提起しながら、
ある人は熱く自分の思いを語る。



与えられたお題である「自分の初体験」を語りながら
当時のことを思い出しているうちに
感極まったのか・・・涙を流す青年もいた


後で聞いたら目にゴミが入っただけだった。


自分の自己紹介が終わった安堵感から
一人で踊り出す娘もいた。



次の集いは、彼らの住む山里の古民家での合宿と決まった。




最後のこの写真は料理を運んでくれた
可愛いお嬢さん。
冒頭の集合写真を撮ってくれた。